パリからほんの一時間ほどで、郊外は驚くほどの緑・緑・緑。
つまりパリは、それほど小さいのであり、エッフェールから眺めると、周囲にすぐ緑の農地の広がっている事に気が付く。そーいえば、フランスは農業国だったっけ。
(なんか、二子玉川みたいだな、と、ちょっと思ったことがある。失礼!)
ところでそのパリ郊外。ここで“本当の贅沢”について、私は少し教えられた気がする。
日本人がよく行くパリは、出来てわずか100年か200年の新しい町で、町そのものを一つの美術館のようにしたことは、それなりに価値があることだとは思うが、思えばフランスの歴史は、それよりもはるかに長い。
その歴史や習慣は、パリ以外のいたるところに静かに大切に生きていて、現代の生活と共存していた。
郊外では、横浜の2DKのマンションが買える位の値段で、広大な敷地が買えるが、そこでは、数百年前からの建物を上手にメンテナンスして現在の住まいとして暮らしている人たちが沢山居る。12世紀や15世紀の建物が残っていても、それは珍しくない。
夏には村人で集まって、その村にまつわるお芝居を自分達で上演したりするそうだ。それは別に観光客誘致のためのものではなく、自分達の歴史を反芻するためのもの。
広い敷地には、見せる庭としてのガーデンもあれば、家庭菜園もあり、家畜を飼っていることも珍しくない。そこでは子供達は、庭で摘みたてのベリーを夕食のデザートに食べたり(当然、無農薬)鶏をおいかけたりして暮らしており、実にのびのびと健康的。そして週末には大人たちはびしっとスーツを着て、観劇にいったりするのである。
こんな暮らし方をしていると、高価なおもちゃや新しいゲームは必要ないと気づく。
もっとも重要なことは、消費型の生活というものの胡散臭さに気が付くのである。
豊かな自然の中で育てば、これを乱暴に破壊することに躊躇する大人に育つだろう。
歴史ある町や家で育てば、自然とそれらを敬い大切にする心が育つだろう。
歴史や文化と自分達のルーツが切り離せないこと、その価値がわかり、何が本当に大切で、豊かさとは何なのか、が、わかるだろう
。
子供の頃、物を大切にしなさい、と教わったものだが、日本では、世間にでてみれば消費社会で、どんどん捨てろ、どんどん買え、と、促される。
新しい物が買えるから豊かなのではない。
もっといえば、新しいからといって、質が良いとは限らない、ということを、フランスは教えてくれる。
ちょっと話がとぶが、中国で今、フートンをどんどん壊して薄っぺらい近代ビルを建てることにやっきになっている状況がある。フートンが旧いからといって価値が無いと思っているのは、無教養な政府だけである。フートンは世界に唯一つ、中国にしかない、価値あるものの一つ。
それを自ら捨てていくから、お金を持つことはできても、そしてそのお金でブランド品を買うことが出来ても、本当の贅沢を知る事は永遠に出来まい。
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